2018年8月10日金曜日

20180810 ある明治人の記録

ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書 石光真人編著
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姜尚中 維新の影 にて、明治維新には「負のイメージが無い」と書いたが、この本を読んで誤りだと知った。

明治維新も大きな不条理の波だった。
確かにアジア唯一の独立国家としての日本を創ったと言えるのだが、不都合な真実は隠され、勝てば官軍式に都合良く美化された史観が残された。

ー過ぎてははや久しきことなるかな、七十有余年の昔なり。郷土会津にありて余が十歳のおり、幕府すでに大政奉還し、藩公また京都守護職を辞して、会津城下に謹慎せらる。新しき時代の静かに開かるるよと教えられしに、いかなることのありしか、子供心にわからぬまま、朝敵よ賊軍よと汚名を着せられ、会津藩民言語に絶する狼藉を被りたること、脳裏に刻まれて消えず。ー

会津に汚名を着せたのは、大久保利通・西郷隆盛
ー余は、この両雄維新のさいに相謀りて武装蜂起を主張し「天下の耳目を惹かざれば大事ならず」として会津を血祭りにあげたる元兇なれば、今日いかに国家の柱石となれといえども許すこと能わず、結局自らの専横、暴走の結果なりしとして一片の同情も湧かず、両雄非業の最期を遂げたるを当然の帰結なりと喜べり。-

ー薩長土肥の旧藩士、官界の要所をほとんど独占し、他藩の有志人入り込むこと難く、わずかに片隅に座を得るも、彼らの頤使に甘んずるのほかなし。ー

ー薩長土肥の旧藩士にあらざれば人にあらずといわれ、幕政の世ののちにきたれるもの、まさに藩閥の世なりというべし。ー

柴五郎は、後に陸軍大将になる人物だが、退役後、日中戦争・太平洋戦争へとすすむ軍部に対して厳しい批判をされたという。


「中国という国はけっして鉄砲だけで片づくくにではありません。」
「この戦争は残念ながら負けです。」
「中国人は信用と面子を尊びます。それなのに、日本は彼らの信用をいくたびも裏切ったし面子も汚しました。こんなことで、大東亜共栄圏の建設など口で唱えても、彼らはついてこないでしょう。」


この本の編著者石光真人氏は、

ー明治維新は根源が深く錯雑しており、また変化の速度が激しかった。かつては「勝てば官軍」の立場から歴史が綴られ、薩長藩閥政府を正当化するために、ある部分は誇張され、ある部分は抹殺された。そして今日もまた、特殊な史観にこだわって、原則に添わない不都合な事実は気軽に棄捨してはばからないようである。ー

と述べている。

明治維新について考えるには、必読の書だと思う。