2018年6月10日日曜日

20180610 梅崎春生

先日借りた荻原魚雷「 怠惰の美徳 梅崎春生 」を読んでいる。
戦争と敗戦、戦後の混乱期、そういう時代のことを考える。

私が小学生の頃、運動中は水を飲むなといわれた。
これも戦争体験に基づく指導だったと思う。

行軍中、喉の渇きに耐えられず、不衛生な生水を飲んで疫痢などに罹り死んだ兵士が多くいた。

その話を聞けば、水を飲まずに運動できるように鍛えること、が正しい指導と考えるだろう。

阪急梅田駅から地下鉄御堂筋線に向かう通路では、片足を失った傷痍軍人が、座ってアコーディオンを弾いていた。
前に置いたお皿に、通行人が小銭が入れる。

そのような光景を覚えている。
戦争の、敗戦の、現実が見えていた。

それも高度経済成長によって覆い隠されていったように思う。
水俣病などの公害についても、経済発展が国民の眼を曇らせてしまった。

中学一年生のとき、大阪で万博が開かれた。
万博といえば岡本太郎の太陽の塔を思い出す。

その岡本太郎は「 夜の会 」の中心メンバーの一人で、梅崎春生、埴谷雄高、野間宏、花田清輝、安部公房もメンバーだった。

学生の頃、「 死霊 」の豪華版になぜか惹かれて高額にもかかわらず購入した。
その本は、30歳のころ古本屋に売ってしまった。

そして40歳の頃、河出書房刊 埴谷雄高作品集 全16巻を購入した。
全巻読んだ記憶があるが、内容は忘れた。

今引っ張り出して見ると、梅崎春生のこともちょくちょく書いてある。

梅崎春生は、夜の会のメンバーであるが、議論には加わらず、伏し目がちに黙って酒を飲んでいたそうだ。

梅崎自身、泥酔することを記しているが、肝臓をいため肝硬変で亡くなる。
埴谷雄高は、梅崎春生をいたむ として

ー私たちは敗戦の瓦礫のあいだから共通の出発をした仲間であつて、野間宏も、梅崎春生も、復員服と兵隊靴という姿で現れたのが、昨日のことのように思い出される。そして、戦後文学の新しい旗印は、椎名、梅崎、野間、中村と四頭立ての馬車のように一括してくくられた四人の名に象徴されることになつたが、そのなかでもつとも小説がうまいのは澄明な感覚をもつた梅崎君だとだれにもいわれた。
 戦後二十年たつて、さきごろ、「群像」で、椎名、梅崎、野間、武田泰淳、私などのいわゆる戦後派の座談会が開かれたとき、精神的にもっとも高揚しているのは、最近、続けさまにいい仕事をしている梅崎君であった。私たちは「幻化」をはじめとする梅崎君の作品が量的に長いもので、しかも、質的に優れているを喜び、かつ、驚いたものである。その驚きは、健康とはいえぬ梅崎君がよくこれだけの仕事を続けさまにしたという驚きであつたが、それは死を前にしての憑かれたごときエネルギーの奔出なのであつた。ー

「 怠惰の美徳 梅崎春生 」いい本だ。
梅崎春生の作品を読みたくなった。

閑な読書人 と 幻化 を読書リストに加えた。