録画してあった百分de名著「人生の意味の心理学 アドラー」を見ました。
NHKテレビテキスト
悩みや問題の解決は、課題を分離することから始める。
課題を分離するとは、その悩みや問題は誰の課題なのかを明確にすること。
誰の課題か、つまり誰が困ることなのかを明確にすること。
親子の問題も、夫婦の問題も、その問題によって誰が困ることになるのかを考えることからスタートする。
そして課題の分離ができたとしても、それは「スタート」に過ぎないということ。
香里奈が主役のテレビドラマを見たとき、「それは私の問題ではありません」と宣言して関わらないでいることが、課題の分離だと思っていました。
そうですよね。
家族のことで「それは私の問題ではありません」では納得できないですよ。
課題の分離をした後で、自分だけで解決できないことは共同の課題にする。
妻の病気は、妻の課題です。
私の課題は、妻のことが心配でたまらないことです。
妻の回復を共同の課題にする。
主治医・看護師・私そして妻、既に体制は整っています。
私が、共同の課題であると認識すればいいということです。
共同の課題として考えたら私のすべきことも明確になります。
主治医は、ぴったりあう薬と量を見つけること。
看護師は、食事や入浴などの入院生活を支えること。
妻は、現状を受け入れ(自己受容)、生きているだけで誰かに貢献している(他者貢献)、無条件で誰かを信じる(他者信頼)を感じられるようになること。
私は、妻の苦しい気持ちに寄り添い、勇気づけ、希望を与えることです。
(妻のことが心配というのは、共同の課題ではない。)
妻の気持ちに寄り添うこと。
妻は薬の副作用でアカシジアや遅発性ジスキネジアが起こりました。
主治医は、アカシジアがでたら薬の量を減らし、遅発性ジスキネジアがでたらお薬を変えてくれています。
ただ、妻は病状がどんどん悪くなっていると言います。
昨日まで私は、「薬の副作用だから心配ないよ、先生もよく診てくれているから大丈夫」というふうに言ってました。
今日も妻は、もうよくならないと言います。
私は妻の気持ちを受け取ろうと思いました。
「病気が治らないから、絶望してるんだね。辛くて、孤独なんだね。」と言いました。
妻はうなづいて少しホッとしたようでした。
気持ちに寄り添う。気持ちを受け取る。
新しい症状がいろいろ出て、病気がどんどん悪くなっているという妻の認識は間違っています。
しかし、妻は自分の気持ちを私に訴えていたのでした。
私の課題は、妻の苦しい気持ちに寄り添い、勇気づけ、希望を与えること。
私は、すべてを自分の課題としてしまったから、どうしようもない孤独感や寂しさを感じていたのですね。
私も、自己受容、他者貢献、他者信頼を感じることができるようになりました。