2018年4月11日水曜日

20180411 苦海浄土

読み始めたときから感じていました。
読むのは苦しいけど、読まずにおれない。

宣教師ラス・カラス「インディアスの破壊についての簡潔な報告」の「世界でもっとも謙虚で辛抱強く、また、温厚で口数の少ない人たちで、諍いや騒動をおこすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか、彼らは怨みや憎しみや復讐心すら抱かない。」人々をスペイン人が侵略し虐殺したことを引用して、

石牟礼氏は、「人間はこの時、自らの内の、もっとも善きものを、自分の手で殺したのだ。水俣および不知火海沿岸の人々になんと酷似していることか。」と述べている。

日窒水俣工場を郷土の誇りとし、国鉄の水俣駅に特急が止まることや、外国船の出入りなど、日窒水俣工場の繁栄を我がことのように喜んできた素朴な人たちが、奇病の発生から20年も30年も経って、見かねた少数の支援者らのすすめでようやく裁判を起こした。

腐った魚を食べる貧漁民がかかる病だとか、会社から金の貰える子だくさんは宝の山などといった差別や、この事態を抹消しようとしたものたち、あるいは見て見ぬふりをしたものたちのことにも触れている。

三島由紀夫の割腹事件、大阪万博、高度成長のころ、公害問題もニュースで見た。
水俣病の被害にあった人たちの写真や映像を見たことも覚えている。

当時小学生だったが、なぜかこれは見てはいけないものだと感じた。見てはいけないという気持ち、これこそが見て見ぬふりということではないか。

見たくないとは言わずに見てはいけないものだと理由をつけて目をそらしていたのだ。

今でも検索すればみることができる。そして今も水俣病で苦しんでいる人たちが生きていることを知った。

「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」が成立したのは、2009年7月奇病の発生から60年近くが経っている。

苦海浄土には、水俣病に罹った漁民が差別を恐れて病気を隠すことや、病気でなくても水俣出身を隠すというようなこと、そして病人やその家族の苦しみようが、生々しく描写されている。

しかし、素朴な人々の素朴な心情が溢れていて、悲惨な状況にも拘わらず心寒々とするということもない。

千ページを超える作品の半分を読んだところで、図書館の返却期限がきてしまった。
これは購入することにしよう。