城山三郎氏の作品を久しぶりに読んだ。
副題「無所属の時間で生きる」
「無所属」という言葉に惹かれて読んだが、これは定年退職者だけに向けて書かれたものではない。
無所属の時間を自由時間と言い換えると軽過ぎる。
「何でもない一日こそ
かけがえのない
人生の一日であり、
その一日以外に人生は無い。」
1999年 著者72歳(2007年 79歳没)の発行。
「考えようによっては、一日という単位は、まるごと相手にするには、大きすぎる。・・・といって、その一日を、こま切れにしたり、ミンチにかけては、元も子もなくなる。情報化社会には、むしろ、この危険の方が大きいかもしれない。」
1999年といえば、NTTがiモードをスタートし、日銀がゼロ金利政策を開始、宇多田ヒカルのファーストアルバムが発売された年。
この時既に、情報化社会が人生の大切な一日を細切れにしてしまうことを危険と感じていたのか。
私自身は、モバイル機器での情報取得に夢中になっていたころ、ポケベルから携帯電話に替わり、PalmOSへと進んで行った。
自分が無所属の身となって、というか妻が入院した今となって、人生の一日の大切さがよくわかる。
でも、やることは特に変わらない、気持ちが変わったのだ。